零の日常

切り取った日常や想い。好きな事やイロイロ。気儘に書いていきます。

気が重くならない言葉を選んで

作業中に音楽を聴いていると、音楽の中の気になる音に耳を澄ましてしまって作業が進まなくなります。勉強しながら音楽聴くとかも、そう云えば出来なかったなぁと振り返ると思います。どうもこんばんは、ヂルです。

 

先日のライブのMCで「夢が叶っている人っているのかな?」の様な問い掛けがあった時に、「何だこの壊滅的な状態は」みたいな事を話されていたのを思い出してですね。

そう、夢って叶っていない人が多くて。でも夢って言葉、今この歳になると必要かなとも思えたりする訳です。夢に向かって頑張っているとか、叶える為に努力しまくっていますって人も沢山居て、それを否定的に見ている訳ではありません。一生懸命やれるってとんでもないエネルギーを使っては生み出して、それって全部その夢があるからこそって云う部分もあると思うからです。それだけの熱量を注げるものがあるって素晴らしいと思います。

でも逆に夢って言葉に縛り付けられて振り回されてしんどくなる人もいるんじゃないかな、って思うんですよ。若ければ若い程悩む人も居るんじゃないかなと。例えば進路とか。高校入試とか。大学入試とか。そういうものを大きな選択肢と捉えるとしんどくないですか?ワタシは高校入試で公立高校に落ちました。私立には行かせないと父から言われれていたので、合格発表の日はどうしようかと焦りました。結果的に滑り止めの私立に行きました。合格発表の日に、自分的にはある程度やれる事はやったしと思っていたし焦ってはいたけど、特に落ち込みもしなかった覚えがあります。でも一緒に高校行こうね!と頑張ってきた友だちが泣くのです。ワタシはそんなに落ち込んでいないのに。その友だちの姿を見て泣きそうにはなりました。ごめんねって何となく思ったんでしょうかね。そして私立に行ったのです。偶然にも同じクラスのワタシの前の席の子が同じ高校落ちてたり、後ろの席には同じ中学校でワタシが転校して行った時に初めて声を掛けてくれた同じ部活の子がいました。(中2の時に転校しました)

そんな感じで始まった高校生活は校則もユルくて皆やりたい放題。ワタシはと云うと成績だけは何としても上位に居ないと私立に行かせてくれた親に申し訳ないとテスト前に死ぬ程勉強するタイプで、それ以外はわりとまったり過ごしていました。今思い返すとあの3年間が一番充実していて楽しかったし真新しい経験を沢山したなと思っています。でも当時は勿論それなりにイロイロある訳で「辞めたいな」と思ったりもしてました。そこから先の進路。ワタシはその頃バンドとか音楽の事しか考えていない生活だったのでそこから派生した勉強か仕事をしたいと思っていたのです。しかしながら父にそんな事言える訳がありません。父は厳格で真面目な人だからとかそんな理由ではなくて、自分が中卒で起業して大変な思いを沢山してきた人で、恐らくは社会に出て働きやすいとか困らない生活が出来る様にとかそういう親心を持った人だったのです。

そして悩んでも行けないところは行かない、好きな事ならそれ以外の時間全て使ってでも自分で勉強したりするものだろうと思って、その先の進路は介護福祉士の資格を取得する為に短大に進みます。結果的に介護福祉士の資格やその他諸々の資格は取れたのですが、短大時代の大半は実習に追われまくって実技に苦戦してグループワークにげんなりしながらも、時間さえあれば軽音部に入り浸っていました。マジで単位ヤバいやつとかあったんですけどね。短大の忙しさとか知らなかったんですよね。そして早い子は1年の夏の実習が終わった頃に就職決まったりする中、ワタシは就職しないまま卒業して翌年妊娠して結婚しました。

 

そんな感じなので所謂大人の遊びも大人の恋愛も経験する事なく今に至る訳です。只主人もバンドマンで(職業じゃなくて)音楽狂いは理解してもらっていたので、大好きなX JAPANの復活も東京迄行かせてくれましたし、両親も子どもを見てくれたのでライブに行けないストレスと云うのもそんなに感じなかったです。子どもは中学上がる迄は喘息が酷くて年に10日位は入院する子だったし、此処には書かないですが他にも育てるのは一筋縄ではいかなかったなぁ。慌ただしく毎日が過ぎていって、本当に必死だったなと思います。あ、今も反抗期の厨二ボーイで中々苦戦しますけどね。笑

 

そうやって今、こうして冷静に考えたり想ったりしてみると夢って嫌な言葉に思えなくもない。全然悪い事じゃなくて、ワタシは今の人生で良かったと想っているけど。「諦めくちゃ」って気持ちはどんな小さな事であっても後悔とか残るなって。だったらいっその事「夢」なんて大袈裟に掲げなくてもいいんじゃないかと思うんですよね。

 

高校入試も、大学受験とかも、就職とかも、失敗したってその後の人生を良くも悪くも左右する出来事に出逢うと期待するから苦しくなるんじゃないかと。どっちでもいいじゃん、どっちに転んでもって想える心の軽さがいいなって思います。

正しいかとか正義かとか素晴らしい人生なんてワタシは歩んでないけど、そんな物差しは自分の基準で決めるからいいですって。周りの評価も周りの価値観も関係ないじゃん。まあワタシはそこ迄潔くなれないんですけどね。でも今の時代って色んな形で自分を発信したり魅せる事が出来る分他人の物差しと自分の物差しが同じじゃないと不安みたいな人もいますよね。それで心を壊す人がいなければいいんだけど。もっと軽く生きる方法とか楽に生きたいなぁ。

 

何が書きたいのかわからなくなってきた(何時もの事か)

 

兎に角ですね、何事もオオゴトに捉えない様にしたいなって話です。ワタシは体調悪かったり気分が乗らないとそれだけでこの世の終わりだ…みたいな気持ちになるし、自分自身がそうだから病院にも通っているんだけど、少しづつでも回復してきたから見えてきた気がします。小さな事でも出来たら褒めてもらえた小さい頃は純粋な努力とか見返りのない優しさに包まれていた気がします。悪い事なんて只でさえ胸糞悪いのに、それを深堀りする必要ないのに気にしてしまう今がしんどいな。少し前よりは随分良いけど。

心を傷つけたり、自分を卑下したりするくらいなら「夢」とか難しい言葉じゃなくて「やりたい事」くらいの言葉でいいと思った。強制されて考えたり答えたりするものじゃないよね、きっと。卑屈かなあ?

でも今夢があって、めっちゃ頑張っている人とかは夢に向かって頑張って下さい!キラキラした人もとても素敵だと思います。応援する事しか出来ないけどそういう人達に受ける感動とかもすごく大きいです。

 

嗚呼、酔っている訳でもないのに何でまともな文章が書けないんだろう。何時もの事ですね!相変わらずの文章なのに、本日も最後迄お読み戴いて有難うございました!